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三十路主婦の孤独にグルメ、三度登場。 〜 花のズボラ飯3巻

       


「手際よくマジメなんてくそくらえと思った〜♪」
「夜のキッチン窓ガラス壊して回った〜♪」
「この魚からの・・・卒業〜♪」



煩をいとわず引用してしまったが……実に3年8ヶ月ぶりとなる花さんとの再会は、
三十路主婦による見事な脱力替え歌ソングによって、笑いへと昇華されていった
のであった。

第一巻第二巻と拙ブログにおいても記事にしてきた「花のズボラ飯」、最新刊が出る
この3年と8か月の間に、本家とも言える「孤独のグルメ」がTVドラマ化して大人気と
なって、先日は奇跡の最新刊も発売された。書店に足を運ぶと、女性がご飯食べたり
お酒を飲んだりする漫画がずらりと並び、一種のブームは今も尚、続いている様相を
呈している中、我らが花さんはと言えば。

「パスタあるゼンチン!!」 「今すぐ本どおりにできルバイジャン共和国!!」
「あっ!! サラダ油エンプティ―!!」 「現実となりたエクスプレス!!」

うん、これこれ!! と思わず個人で雑貨輸入商の営んでいる、某独身男のような感想を
呟いてしまう、これぞ駒沢花と言いたい言語感覚の嵐は3巻においても健在である。第2巻で
見せた、主婦層向けの雑誌に連載されている作品なんだよな、と実感させるようなせつなく
しんみりとした展開は、今回は控え目。単身赴任の旦那を持った三十路主婦の、自由気まま
……自由過ぎる気もする生活を赤裸々に描いているだけ。だが、それでいい。それがいい。

もう何度か言及しているように、私個人はこの作品を読むと、とにかく漫画を読んでいる
という事の満足感、充実感が必要以上に味わえるので、語弊があるかもしれないが、物凄く
読み応えのある漫画、と言えるのだ。私にとっては。今回は1頁丸ごと使った贅沢かつ
ダイナミックな構図が、ここぞという場面(鍋や炒め物が上手く出来た時、とかですが)で
使われているのが印象的。時折見せる色気も含めて、色々と大胆な花さんの心象風景が
見事に表現されているのだ。全編カラーの話やカラー原画なども収録されているせいか、
いつも以上に花やか、華やかなコミックとして楽しめる。ドラマティックなカタルシスなど
無くとも、気付けば何度も繰り返し読みたくなる、という独特の魅力は「孤独のグルメ」と
一緒の感覚であろう。

前回で妊娠が判明した花さんの親友、ミズキさんの出番が少ないのは残念だが、現状妊婦
なのであまり出かけれない、という当たり前のリアリズムがちゃんと盛り込まれているのも、
本作の立ち位置が垣間見えて面白い。次の巻にはお子が生まれるのだろうか……何年後に
なるか分からないが。3年以内に新しい単行本が出るといいなあ。


「寝ても寝ても眠い!!」 「このまま夕方まで寝続ける自信ある」
「でも…おなかもすいたから起きてやるかぁ」

今回、一番共感した台詞(笑。あとスティーヴィー・ワンダーネタも)。

at 12:50, 某スタッフ, Book(Recommend/Free Talk)

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世界の見え方。 〜 コトノバドライブ 2

      

当ブログで1巻を紹介したのが、今年1月の話。1年に2回、芦奈野ひとし氏の新刊を
お目にかかれるというのは、何だか奇妙な気持ちにもなる(笑)。

本作については、以前の記事を参照頂くとして、2巻でもヒロインすーちゃんが見て
体験する、ちょっと不思議な"5分間"を、芦奈野氏独特の画風で描いていくという
基本的スタイルは変わらない。今回変化したことと言えば、すーちゃんのバイト先の
店長の姪っ子である[はるかちゃん]の登場であろう。準レギュラーのような立ち位置で、
すーちゃんに一歩進んだ"不思議な5分間"を見せることになるキャラクターである。

その他にも、上述した店長の台詞も増え、すーちゃんのお友達なんかも登場する。非常に
ミニマルな世界観の中で、僅かながら広がりを持たせ始めていることがよく分かるのだが、
勿論作風自体に大きな変化は無い、というのは先にも述べた通り。

印象的だったのは、1巻で顕著だった[バイクに乗って感じる世界]が、早くも主体では
なくなって、岩を登ったり、誰もいない海で泳いだり、と様々なすーちゃんの姿を楽しむ
ことができる。どれだけイマジネーションを高めて、どれだけ作品に流れる空気のような
ものに、自身の感性を擦り合わせていくことができるか、といったところが重要になって
くる類いの作品であるからして、すーちゃんが自由気ままに動けば動くほど、読み手は
自らの想像力を、限りなく自由に遊ばせなければならぬ。インスタントな解答などは一切
用意されてはいないし、どのように読もうが、正解も不正解も何も無い。今こうして私が
書いていることも、芦奈野氏の作品に対する私なりの基本的態度、というだけのことである。

どのエピソードも好きだが、今回一番私の心にするりと滑り込んできたのは、すーちゃんの
中学時代の話。誰もいない山の畑で一人でクラリネットを鳴らすこと、その後で薄暗くなった
帰り道を走って下ること。そんなことが好きだった、と述懐するだけの物語だが、特に帰り道を
走って下るシーンの芦奈野氏の描写は、おそらく前作「カブのイサキ」における経験が活きている
のであろう、実にスピード感溢れるダイナミックな画で素晴らしい。次のページで、一気に時間も
空間もスロウになる落差というか、演出の妙……自然にやっているだけかもしれないが……もまた、
読んでいて実に面白い。漫画でしか表現できないものであろう。



第10話で、店長に連れられて満月を観に行ったすーちゃんは、彼女にしか見えない月の光で浮かんだ
線を目撃して、それが削られる前の山の形だと気付く。そしてこう呟く。

「すべて何かが覚えてる」

読んでいる私も、不思議とノスタルジックな記憶が呼び覚まされたような気がしていた。それはきっと
錯覚であろう。そんな錯覚を楽しむこともまた、芦奈野ひとし作品ならではの醍醐味なのだ。

at 23:52, 某スタッフ, Book(Recommend/Free Talk)

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てっぺんの少女たち。 〜 パラダイスレジデンス

                  


本稿で取り上げる『パラダイス・レジデンス』の作者である、藤島康介氏の代表作と言えば、
言わずと知れた『ああっ女神さまっ』であり、『逮捕しちゃうぞ』であろうが、そもそも氏の
長いキャリアにおいて、連載作品として生み出されたのは、『パラダイス〜』が新作として
連載されるまでは、その2作品だけだったのである。無論、両作品共に大いにメディア展開して、
後の漫画界及びアニメーション業界に多大な影響を与えた事は今更言及するまでもない事で
あろうが、果たして正当な評価を得ているのか? と考えた時に、以前取り上げた麻宮騎亜氏の
『サイレントメビウス』と同じく、私は首を捻らざるを得ないのだ。

いい機会なので書いておきたい。特に『ああっ女神さまっ』に関しては、意図せずして作られた
巨大なイメージが、作品の現代における立ち位置を曖昧なものにしてしまっていると私は考えている。
90年代においては、読んでいるだけで所謂典型的なオタクの象徴のような位置付けとされていたし
(今の若い衆には想像もできないだろうが、パブリックなイメージにおけるオタクへの迫害は熾烈な
ものがあった)、00年代を過ぎると、今度は若いネット層を中心に、時代遅れの作品として半ばネタ
扱いになってしまった感がある。俗に言う『萌え』文化において、多くの典型的なパターンを生み
出した作品ではあるが、(言ってしまえば)全盛期においてはそのイメージで迫害され、後発の作品が
多く生み出された以降は、そのイメージが、あくまでイメージのみがネット上で拡散され、コピペされ、
おそらく実際には作品を読んでいない層にさえ、特徴的な絵柄の変遷も含めて、失笑されてしまって
いる事実は、正直否めないと思う。

勿論、歴史的な影響という意味においても、商業的な結果という意味においても、素晴らしい功績を
残したことも間違い無いし、『ああっ女神さまっ』の影響下にある作品などは、それこそ数え切れない
ほどにあるのだろう。私なんぞが気に病んだところでどうしようもない事もよく分かっているのだが、
何だか不憫な気がしてならない(苦笑)。20数年、氏の作品を読んできた身としては、冷静ぶった事を
書けば、『ああっ〜』の全48巻、後半は惰性で読み続けていたところはあるし、本来最終回として
考えられていたという、初期に作られたOVAがあまりにも完璧だったこともあって、ある段階で、
氏が本当にこの作品を描きたくて描いているのかな? などと邪推したことも告白しておこう。
それでも、藤島氏の新作を読むに辺り、改めて『ああっ女神さまっ』を全巻読み返してみたのだが、
何となく一貫したテーマ(信頼、ということ)は感じるし、後半以降の展開もそれほど悪くないかな、
と思えるようになった。無論、ファンの贔屓目以外の何物でもない感想なのだが(笑)、全ての装飾を
取っ払った上で、改めて『ああっ女神さまっ』という作品に向き合う機会を、もっと若い衆には
持ってもらいたいな、と思う。


……以上の前置きを踏まえた上で、本題に入ろう(笑)。
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at 22:57, 某スタッフ, Book(Recommend/Free Talk)

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挫折は繰り返す、さりとて救いもまた。 〜 ピコピコ少年 SUPER

                     


今や渦中の人となった押切蓮介氏による、最新作。そもそも、去年の半ばくらいまでは
絶好調という意味で話題の人であった氏が、たった数ヶ月であのようなことになろうとは、
本人も想像すらできなかったに違いない。先に言うと、例の事件によって激変した氏の
生活及び精神状態も、直接的な原因はぼやかされているにしろ、本作の最終話において、
かなり痛々しい表現で描かれている。自身が愛し続けて、かつ支えられ続けた事がきっかけで
苦境に立たされるというのは、哀しく辛いものであろう。私自身も、音楽と共に生きて音楽に
関わる仕事をしているが、その音楽という存在によって、時に苦しい思いをすることは、
決して皆無とは言えない。月並みな表現をすれば、好きなことを仕事にした結果生まれる
葛藤、というやつだろう。もちろん、押切氏が置かれている立場は、より複雑なものでは
あるのだけど。

が、氏が自認しているように、押切蓮介……神崎良太という人は生来の捻くれ者であって、
自虐をばねに自分の人生を切り開いてきた人だと私は思う。それが漫画にもちゃんと表れて
いて、現在はギリギリの状況及び精神状態であることは間違いないにせよ、一流の捻くれた
ユーモアが件の最終話でも感じられるし、ラストは何となく救われたような(現実問題として
何も解決していないにも関わらず!)気持ちにさせられるのは、氏の才能と言えよう。もっと
言えば、氏が持つ独特のエンターテイメント精神による賜物なのかもしれない。何と言っても
学生時代からの盟友、山田氏による叱咤激励から生まれた名台詞には妙な感動すら覚えた。

(積んでいたゲーム機に対して)「そうだ!! 身ぐるみ(箱)はいじまえ!!」

今回は前作、前々作と比べると「ゲーム」に密着したエピソードは割合に(この作品にしては)
抑えられており、押切氏の楽しかったり苦々しかったりする思い出話が、氏らしい何処か
ノスタルジックな筆致で描き出されている。79年生まれという世代に密着し過ぎている
物語展開及び語り口は、氏と同い年で[アウェイ少年]であった私としては、気恥ずかしく
なるほどのデジャヴが楽しめるわけだ(笑)。もちろん、氏と同じような性格であったわけでも
ないし、氏のようにゲームが今でも心の拠り所である、というわけでもないので、共感という
よりも、性格も環境も違えど、何故かアウェイな気持ちが先立ってしまう、所謂オタク的な
趣味を持つ79年生まれ男としての、恐ろしいほどの同世代感が胸に突き刺さるのであろう。
PCエンジンSUPER CD-ROM2のソフトがサントラCDとして聴けるとか、思い出しただけで
泣けてくる。そうそう、2曲目はゲーム用のデータ・トラックなんだよな、1曲目は粋な
ソフトはちゃんと声優が注意してくれるんだよな、とか。90年代過ぎるラジオ番組の数々、
仲間を[仲魔]などとわざわざ書く小ネタが何とも切なく笑えてしまう。

幼い頃の淡い恋における苦々しい結末であったり、仲間と思っていた人たちに何故か拒否
されたり、それこそ天国から地獄へと突き落とされるような、ほとんど宿命の如き人生は、
氏を表現へと駆り立てる。それが出来るだけ、幸せ……と言えるかもしれないが、今の
状況を考えたらそんなことは軽々に口にはできまい。それでも、氏は自分を叱咤し、時に
苦しめ(特に現状は)、とてもじゃないが分析不可能なぐちゃぐちゃした想いを受け止めて
くれる、と氏が信じているゲームという存在に回帰する。今は、原点に立ち返っている
時期なのかもしれない。キャリア的な意味での絶頂期に、不本意にもそのような回帰を
迫られるのが、押切蓮介という人の宿命なのかなあ、と思うと何とも言えないが。

ともあれ、ファンとしては彼を取り巻く問題が円満に(それは困難かもしれないが……)
解決して、中断している作品の再開、そして新作の執筆なども大いに期待したいところ。
その為には、こうして作品が出れば我々ファンは購入し、彼の漫画家生活の足しになる
ように祈るしかあるまい。作品自体が罪となってしまっているような状況は、読者と
しても、とても悲しい。ゲームに恩返しがしたい、という作者の率直な気持ちを、
我々も信じて待ちたいと思う。
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at 01:21, 某スタッフ, Book(Recommend/Free Talk)

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世界の捉え方。 〜 コトノバドライブ

      

いつの間にか届いた、芦奈野ひとし氏新作。前作「カブのイサキ」が、あのような結末を
迎えた(打ち切りとも最初から考えられていた結末とも取れないような、形而上学の如き
世界の解釈とでも言えそうな)こともあって、少々物議を醸しだしたようだが、当の
芦奈野氏は恐ろしくマイペースに、彼独自のスピードを、時間軸を主体とした作品を、
私たちに届けてくれたのであった。

「ヨコハマ買い出し紀行」は巻数を重ねるごとに、それなりに世界も広がって登場人物も
増えていったが、「カブのイサキ」の主要登場人物は3人で後に4人という、よりミニマルな
作風であった。そして本作「コトノバドライブ」においては、主要な登場人物は基本的に1人
である。[すーちゃん]と呼ばれる(単行本の時点では、まだ本名すら分からない)、いかにも
芦奈野作品の登場人物らしい、快活さと感受性の豊かな性格が同居しているような、何処か
少年のような中性的な雰囲気を持った女性(スタイルの良さも今回は際立っている)が、
中古で買ったバイクに乗って、「少し不思議な」体験をするというのが、本作の簡単な粗筋。
すーちゃんのバイト先の店長も主要といえば主要だが、物語……そう言ってよければ……には
ほぼ関与することはなく、単行本の表紙に書かれた言葉を借りるなら、

「だれにも言わない、わたしの5分。」

その5分間ですーちゃんが見た、感じた、受け止めた、不思議な世界を、時間を、空気を、
芦奈野氏のラフでいて繊細な筆致で描いているのである。

印象的なのが、氏の作品に見られる、我々の現実世界とは似ているようで、何処か違う
世界設定は本作においても健在なのだが、より曖昧に、読者のイマジネーションに完全に
委ねられているような描き方であるところに注目されたい。これは私たちのいる世界より
未来なのか、遠い過去なのか、何処か違う世界の話なのか……それを色々と想像するのも
楽しいことだ。むしろ、それを楽しめないようでは氏の作品に親しむことは難しいかも
しれない(笑)。

以前にも書いたように、芦奈野氏の作品はある意味において非常に贅沢なものであって、
10年代も半ばを迎えた現代において、氏のようなスタンスは、言ってしまえばわがまま
極まりないものであろう。漫画家にせよ、音楽家にせよ、SNSなどを駆使して自分の
主義主張を語ったり、ファンと交流したり、大人げない喧嘩をしたりする時代に、何処か
謎めいた雰囲気に満ちた氏の漫画家人生は、ある種のミスティフィケーションによって、
その作品のみにおいて成立しているという、当たり前といえば当たり前の、だがしかし、
非常に貴重とも言えるようなものである、というのは氏の作品を読む上で、ちょっとした
鍵になるかもしれない。

読者の個人的体験が、作品の評価に直結している、というのは非常に微妙な問題であって、
エンターテイメントとして考えるのなら、例えば不良でなくてもヤンキー漫画を楽しんだ
ところで何の問題も無いし、楽器の心得が無いからといって、バンドをテーマにした漫画を
楽しめない、などという道理は無いであろう。が、芦奈野氏が「ヨコハマ〜」から一貫して
描いているテーマの1つに、[バイクに乗って感じる世界]というものがある。そのテーマが
「コトノバドライブ」においては、むしろ主体となっているので、バイクと共に感じる世界
といったようなものを少しでも知っている読者は、誤解を恐れずに言えば、本作に関しては
特権的な楽しみ方ができるのかもしれない。私自身も、若い頃に某作品の某キャラクターが
乗っていたバイクに憧れて(笑)、全く同じというわけにはいかなかったが、KSR-(98年型)
というバイク乗っていた時期があったので、バイクという乗り物が持つ独特の魅力は、
ほんの少しではあるが分かるつもりでいる。

とはいえ、氏の名誉の為にも書いておくが、バイクに乗ったことが無いから楽しめないなんて
ことは全く無いし、単行本の最後に収録されている「トンネルのこと」では、乗り物自体が登場
しない。故に、ドライブとタイトルに冠してはいるが、[すーちゃんにだけ見える5分間の世界]
こそが氏の描きたいことであるのだろうし、その世界にほんの少しでも魅力を感じたのなら、
読者はすーちゃんと一緒に、不思議な5分間を、おっかなびっくり楽しめるのではないかと思う。


そう、バイクに乗ったことがなくとも、その場所に行ったことがなくとも、何故か氏の描く
世界には、読み手に言い知れぬノスタルジーを感じさせる作用があると思う。それは、私たちが
知っている過去なのか、それとも知らない風景なのか。すーちゃんだけが捉えることのできる
世界を、いつまで続くか、いつ終わるかも分からない世界を、私ものんびりと楽しみたい。

at 03:40, 某スタッフ, Book(Recommend/Free Talk)

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魔術的電脳。 〜 サイレントメビウス・クアドリガ

       


正直なところ、この作品について何か書くべきかどうか、割と迷っていた自分がいる。
結局こうして文章を書き始めてしまっているので、書き始めたからには長くなりそうな
気がする。思い入れのある作品の正当な続編であるが故。

作品の紹介でもないし、分析でもないし、評論でもない。読んで感じたことを、当時の
思い出と今の視点がゴチャゴチャになったままの未整理な文章として吐き出してしまう
予感もするので、注意されたし。以下、続きから。
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at 04:01, 某スタッフ, Book(Recommend/Free Talk)

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平熱ムード。 〜 危ノーマル系女子



おそらく、作者である真田ジューイチ氏の出世作である「ヒャッコ」からのファンで、
本作も購入している人、というのは多いと思う。ご他聞に漏れず、私もそうだ。
作者名義の変更や、「ヒャッコ」の宙ぶらりんな連載休止などについては、漫画業界
においてはよくあることだし、ここで言及することはしない。ファンとしては、いつでも
再開してくれるのを待っているのだけれど。

本題に入ろう。今回取り上げる「危ノーマル系女子」という作品は、プロットだけ
取り上げるなら、所謂ボーイ・ミーツ・ガールズの典型的パターンである。少年を
取り巻く個性的な少女達、もっと言えば最初からハーレム状態で物語は始まる。
1巻では、主人公である少年、秕シンヤの主観で自身を取り巻く少女達を丹念に
紹介していくことに費やしている。物語的なものが進行するわけではない。これは
いかにも00年代以降のライトノベル風と言えるだろう。それが最新刊2巻で大きく
変化している。日常描写の中に、外的要素によるストーリー展開が大きくフューチャー
され、性的な(これは1巻にもあったが)、暴力的な描写もさらりとではあるが、作中に
盛り込まれているのだ。「ヒャッコ」はもちろん、他の真田作品を読んでいる人から
してみれば、結構な冒険をしているな、と捉えることができるかもしれない。

ライトノベル、と書いたが、主人公シンヤのキャラクター造形は、テンプレートの
ような、「何処にでもいる高校生、面倒ごとは避けたいが実は心優しく・・・」などと
いったものでは無い、というのは強調しておきたい。真田氏による「夕日ロマンス」と
いう作品の姉に溺愛される弟も近いものがあったが、端的に言えばクールな性格で、
主体性に欠け、それでいて異性にモテる。いや、そんなことを言ったらそれこそ
ラノベじゃないか、と思われる向きもあるかもしれないが、むしろシンヤという少年の
モノローグ、そしてヒロインの1人である翼十華によるシンヤに対する人物描写を
鑑みるに、はたしてこれは90年代的空気が尾を引いていると思われるのである。
真田氏は81年生まれだという。私の2つ年下だが、俗に言うエヴァンゲリオン世代。
バブル崩壊後の醒めた現状認識と、世紀末を控えた妙な特別意識、クールさと
淡々とした刹那的態度が尊ばれた時代の空気感が、その「平熱的なムード」が、
真田氏の作風にはいつも感じられるのだ。


<ここから内容にも踏み込んでいきます>


今回の物語は、シンヤを取り巻く世界に偶然ながら介入することとなった教師が
メイン・テーマである。この教師、有名小説(&映画)アメリカン・サイコの主人公や、
それこそテッド・バンディなんかを思わせる快楽殺人犯で、女子生徒を犯して
殺すということを生き甲斐としている男。但し、日常はいつも通り、淡々と、特に
問題を起こすことなく、一教師として生きている。そのどちらも欠けてはいけない
・・・というのがこの教師の自己分析であって、これもいかにも90年代的発想
である。あくまで個人的なモノローグの世界観。これを理解しづらく思う若い衆
もいるに違いない。逆に私は、妙に伝わりすぎて少し恥ずかしくなってしまった(笑)。
もちろん、個人の勝手な感想に過ぎないというのは前提として。

この教師に目を付けられてしまったのが、シンヤの妹君。教師が人を殺そうが
何しようが関係ないが、妹に危害を加えたら許さん、というシンヤの行動原理。
妹なんてどうでもいいけど、愛しのシンヤに頼まれたからと色々動く十華。無論
1巻で紹介された少女達は全員登場するのだが、基本的に彼女達はシンヤに
対する興味以外は「どうでもいい」のであって、全体的に突き放されたような、
突き放すような基本的態度で貫かれている作風は、やれやれと言いながらも
物事に介入し、全ての事象において、何かしらの理由を求める今の風潮とは
少し違うと言えるだろう。

「ヒャッコ」に顕著だが、真田氏は多くのキャラクターを自身の作中に登場させる
タイプで、そのキャラクターの動かし方が実に上手い。決して画が上手い人と
言うわけではないが、むしろ旨い絵を描く人なのだ。「ヒャッコ」が最初に単行本化
された時、私は書店に並ぶ「ヒャッコ」を手に取り、ページをめくって一瞬拒絶した
ことをよく覚えている。以前紹介した押切蓮介氏に対してもそうであったように、
拒絶したということは何か反応してしまったことと同義なので、結局のところ気に
なってしまったのだと思う。今では、真田氏は天才だと思っているのだが(笑)、
抜群に魅力的な少女たちと、不思議な疾走感を持った画風は少し洗練されて、
スタイリッシュな匂いも漂ってきた。時系列が行き来するような物語的構造にも
気を遣っているのが伺えるし、色々と挑戦しているのだな、と感じられてファンと
しては嬉しい限り。もちろん、全体的に斜に構えたような、すかした雰囲気を嫌う
人もいるだろうし、私としては、ネットスラングなどの多用(ヒャッコも後半くらいから
頻出していた気がする)であったり、“今のオタク”的な表現も割と盛り込まれて
いることが若干気になる。でも、それのミクスチャー感が面白かったりもするのだ。


今回の物語のラスト、安楽椅子探偵気取りの少女である内田夢路の言葉。
これが「危ノーマル系女子」の根幹に流れる、一種の“雰囲気”の象徴的な
台詞であると私は思う。次巻以降も、この“雰囲気”と戯れたいものである。
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at 16:02, 某スタッフ, Book(Recommend/Free Talk)

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少女と圧倒的暴力と。 〜 焔の眼

               



前回の記事以来、着々と押切作品を揃えているわけだが、「焔の眼」の最新刊となる4巻が
発売されたので、紹介記事を書いてみようと思う。

本作は、押切氏の作品としては最もスケールの大きい内容と言える。架空の国ショルゴール
が世界中を支配し、抵抗空しく日本も敗戦、絶望が支配する戦後という時代背景の下、物語
は始まる。主人公はショルゴール人と日本人とのハーフである少女沙羅と、人外の肉体と
力を持った陀大膳黒(だだいぜんくろ、通称クロ)。二人が出会い、奇妙な縁に導かれながら、
出会いと別れを繰り返しつつ、ストーリーは灼熱の絶望の中で、熱く激しく進んでいく。

最新刊となる4巻では、親しい人とはほぼ死別しながらも、ショルゴール人のお嬢様の気紛れ
で屋敷の使用人となった沙羅が、次から次へと押し寄せる困難に立ち向かう様が描かれて
おり、後半では事態は急展開していく。クロとの束の間の交流、自身の宿命のようなものの
芽生え、前述したショルゴール人のお嬢様エレノアの運命の流転、付添い人で元軍人である
ゼノの思惑などが絡み合い、ジェットコースターのように目まぐるしくストーリー展開していく
様は、一度乗せられてしまえば、破壊的なカタルシスが味わえるはず。

3巻辺りから前面に押し出されるようになった、背徳的なエロティシズムをどう受け止める
のかは読む人それぞれだろうが、サディズムとエロティシズムの不可分な関係性を、よもや
押切漫画で読むことになろうとは正直思わなかった。押切作品の初心者である私が言うこと
なので眉唾もいいところだろうが・・・。

私はこの作品に初めて触れた際に、「覚悟のススメ+ベルセルク+昭和の漫画色々」といった
ような印象を受けた。荒唐無稽とも言える設定、人体破壊描写、そういった要素は押切氏の
持つ独特の表現方法で活写されており、何とも言えぬ魅力を醸し出している。とはいっても、
特にクロの描写は何だかコミカルに見えるし、おそらく作者自身の理想には、まだ届いては
いないのではないかと想像される。只、やりすぎな描写、表現というものに触れると、不思議と
笑いが生まれるものでもある。人間(なのかどうかも分からないが。最早人外の強さを持った
某ガッツ氏のように)が武装した軍隊相手に己の肉体のみで対峙し、圧倒的勝利を収めるの
だから、単純に面白いったらない。細かい破綻などはどうでもよくなる迫力と、言い知れぬ
説得力がある。粗探しや深読みなどに執着してはいけないタイプの漫画と言える(笑)。

戦後が舞台であったり、ある意味戦争漫画である本作ではあるが、所謂イデオロギー的な
ものなどは特に重要ではなく、別に勧善懲悪の話もでもないし、どちらに正義があるのか?と
言ったような、問題提起がしたいわけでもないのだと思う。私としては、作者が作り上げた世界
の中で、必死に足掻く沙羅をはじめとするキャラクター達の運命を見届けていきたいと思う。

惜しむらくは、1巻の冒頭で確定された未来が提示されてしまっているので、そういう意味での
ドキドキ感は若干薄れてしまったかな。あの未来に至るまで、どのような経緯を辿っていくのか。
押切氏の手腕に期待したい。
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at 00:00, 某スタッフ, Book(Recommend/Free Talk)

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でやーっ!!!!(某メトロシティ市長さん) 〜 ハイスコアガール




もう以前から各所で話題となっているこの作品に今更言及するというのも、若干気が引けない
わけでもないが、書きたいと思ったら書くという当ブログのスタンスに則って、最新刊が出た
ばかりということもあるので、思ったことを書いていきたいと思う。


1巻が出た当初から、親友にはずっと薦められていたこの作品。私としてはどうにも絵柄に
入り込めないという理由から避けて通っていたのだが、作者である押切蓮介氏の他の作品
(「ミスミソウ」)を偶々知って興味を持ち、上述したように最新刊が出るタイミングで一気に
全巻揃えてみた次第である。ついでに自伝的作品「ピコピコ少年」「ピコピコ少年TURBO」
も購入。早速全巻通読したのだが・・・。

はっきり言って、これほどまでに曰く形容し難い、複雑で、甘酸っぱいような、苦いような、
胸が締め付けられるような、様々な種類の感情が押し寄せてくるような感覚に襲われた
漫画作品は久々であった。ある意味救いようのないほどに純粋培養ゲーマーな主人公と
無口なヒロイン(天性のテクニックを持つお嬢様ゲーマー)との小学生〜高校生(現時点
では)に渡る関係性を描いたもので、中学以降は新たなヒロインも登場し、表面上の話
だけを取り出せば、10代の三角関係を綴る青春ラブコメである。であるのだけれど、
むしろ四角関係とも言えて、少年少女達の関係には常に「ゲーム」という大きな存在が
あって、物語はゲーム(アーケード、コンシューマー問わず)を媒介にして進んでいくのが
大きな特徴だ。上述した自伝的作品を読めば分かるが、作者自身が生粋のゲーマーで
あり、本作は作者自身の思い出を背景に、妄想的エッセンスを加えた作品なのである。

「ホラーギャグ」を標榜しながら、少しずつ様々なジャンルを開拓し、これまた上述した
「ミスミソウ」のように挑戦的な、過激な作品なども生んできた押切蓮介氏にとって、
この「ハイスコアガール」は言うなればカルト的な作家である氏をメジャーのフィールド
へと押し上げた、エポック・メイキング的な作品と言える。偶々ここ最近私が読んでいる
ので例に挙げるが、マンディアルグでいう「オートバイ」と同じような作品ということだ。
この手の立ち位置の作品は、特に昔からのファンにとっては賛否両論になることが多いし、
実際そういった論争もあるようなのだが、楽しみ方は人それぞれなので、私としてはとにかく
この作者の作品に今まで触れていなかったことを悔やむばかり。今こうして読んでいるの
だから、その後悔はほぼ帳消しではあるけど。

不思議なもので、一度好きになってしまえば独特の絵柄もむしろ言い知れぬ奇妙な魅力を
放ち、特に少女達は限りなく美少女に見えてくるのだから、私の脳髄は単純である(笑)。
特徴だけ見ればテンプレートな、よくあるキャラクター造形であるのに、本作における少年と
少女達は実に活き活きと描写され、本来インドアな、溌剌とした明るさとは無縁のはずの
ゲームを楽しむキャラクター達が見せる、魅力はただ事ではない。取り上げているテーマ
というだけでなく、その作風自体に、哀しくも愛らしいノスタルジーが、少年少女の表情に、
夕方の空に、川原に、宿っているのが良い。自身の作品にお化けや妖怪といった、恐ろしくも
郷愁のようなものを感じさせる存在を頻繁に登場させる氏ならではのものだと私は勝手に
解釈している。ゲーム漫画とラブコメとのバランス感覚が若干危なっかしいのも、私としては
楽しんで読める。おそらく、どちらに転んでも駄目になってしまう読者はいると思う。この作品
をどう読んでいるかで、それは変わってくることだが、ラブコメ重視の人にとっては、ゲーム
という存在があまりにも密接し過ぎているだろうし、ゲーム漫画という点を重要視している人
にとっては、ラブコメ要素が特に最新刊では強くなってきているので、若干首を捻るもの
であるかもしれない。私はたぶん一気に読んだせいでその違和感は特に感じていないの
だが、それ以上にこの作品に魅入られてしまう理由は、次に述べる一点に尽きる。

それは、押切氏が1979年生まれということ。つまり私と全くの同い年である、ということ。
当然ながら偶然に過ぎないこの繋がりは、でも確実にこの「ハイスコアガール」を読む
上で、特権的な楽しみ方を与えてくれるものである。何故なら本作はあまりにもあの時代、
90年代に密着したものであり、あの時代の空気感、あの年齢でリリースされたゲーム、
そういったものが全て感覚的に理解できてしまうのだから、そりゃ好きになるわ(笑)。
本来、作品が面白ければ作者のパーソナリティなどにはそれほど興味を持たない立場
であった私自身も、小学生の頃は地元有数(自称)のゲーマーであったので、むしろ
恥ずかしくなってしまうくらい、本作で描かれている時代背景は、すんなりと入り込める
ものなのだ。

だからこそ、ある種の時代性みたいなものが強く前面に押し出されていることが、どうも
鼻につく、という人もあるかもしれない。やはり客観的に見ても、普遍性を持っている絵柄
というわけでもないし、やっていることは普遍的なラブコメでも、随所に作者一流の捻くれ
具合がちらほらと顔を出していることも、やはり一筋縄ではいかない作品と言える。

それは同時に、読む人の波長さえ合えば、素晴らしく魅力的な作品へと変貌するという
こと。私がそうであったように。今から次の巻が楽しみでならない・・・それまでは作者の
他の作品を全て揃えて待つとしよう。
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at 01:55, 某スタッフ, Book(Recommend/Free Talk)

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10周年おめでとうございます。 〜 夏目友人帳




親と子、友人同士、恋人同士、教師と先生、先輩と後輩、店員と客、電車などで隣り合わせた
他人、・・・社会生活を営む上で、人間関係というものは、いや、関係など無いはずの他人で
すらも、日常ふと一瞬でも互いを意識した(レジ待ちの列などでさえも)瞬間に、それぞれの
関係性に合わせた「距離感」というものを求められる。距離感を見誤ると、些細なトラブルに
発展することもあるし、取り返しのつかない事態になってしまうこともある。

対人のみならず、人ならざるもの・・・「妖」との関係性、その距離感が重要なテーマとなって
いるのが、この「夏目友人帳」なのだ。

以前にもこのブログで取り上げたことのある作品だが、あの時はアニメ第三期を記念しての
記事であった。原作について書くのは初めてなのだが、今回の表紙、名取さんの煌き具合
が加速しているのもあって(?)、これは書かねばならぬ、などと思い立った次第である。
話の内容にも踏み込んで書いていくつもりなので、未読の方は注意されたし。


最新刊となる15巻、今回メインとなるお話は「妖が見えなくなってしまった祓い屋」が1つの
テーマとなっている。以前にも、人間の男性と蛍の妖(アニメ版CV:桑島法子!)との恋物語
で、突然妖が見えなくなってしまった悲劇が描かれたことが思い出されるし、的場一門が
登場する回などでも何度か出てきたことのあるテーマである。ところで私が作者である
緑川ゆき女史に対してなかんずく感心するのが、こうした所謂“普通でない”能力を持った
人間を描く際に、“その能力を失ってしまった”あとの顛末から目を背けることなく、真正面
から取り組んでいる姿勢である。強い能力を持つが故に苦悩する主人公などは幾らでも
存在しているが、その能力が失われてしまったら、といったテーマはそもそも虚構の物語
を描いていく上で始末に困るものだし、それを前提にしていたら話が進まない、という暗黙
の了解もあるように思う。しかし、緑川女史は強力な祓い屋である的場自身の口から以下
のように語らせているのが素晴らしい。ただの癒し漫画などと思っている人がいるとしたら
それは大間違いであることが即時理解できるであろう。

「見えなくなったからと言って妖からかった恨みは消えない」
「大抵の祓い屋一族はこの恐怖と問題にぶつかることになる」
(単行本13巻から引用)

例えばインターネットで個人情報の垂れ流しが問題になっているが、当人が慌てて情報を
消したとしても、既にネット上で拡散して誰か悪意ある人間の手に渡ってしまえば、その
情報は当人の目からは見えずとも、見えない脅威としてネット上に半永久的に残ることに
なる。オンライン空間の雑多な情報を、メタファーとして“妖”と名付けることもできそうだ。

閑話休題。今回のお話は見えなくなった事から生じる恐怖ではなく、悲哀を描いたもの。
妖が見えなくなった祓い屋と、彼が使役していた式(単純に言うと妖の家来みたいなものだ)
との悲しくも温かい関係。主人公夏目や名取の活躍で事なきを得るが、常に様々な関係性
における距離感にとまどう夏目にとって、また新たな経験となった重要なお話と言える。
同時に、今回は「友人帳」の存在を名取に感付かれそうになったり、その友人帳そのもの、
そして夏目の友人である多軌透が使う術などが、祓い屋家業における“禁術”である、と
いうことも語られていることもまた、今後のこの作品の物語展開において、非常に重要と
なってくるであろうファクターである。

今回の巻に収録されたもう1つのお話は、「夏目友人帳」の基本的態度から織り成す、
この作品における「日常」と言えそうなもの。スケールの大きい物語へと展開できそうな
要素は多くあるこの作品、同時にこういった読み切り感覚で楽しめる話を決して蔑ろに
していないのが良い。作者自身、「最初に目指した方向を守りながら」と述べているのだ。

原作を読んでいる読者にとっては毎回楽しみにしているであろう“特別編”に関しては、
今回は夏目が居候している藤原夫妻の「関係性」が描かれているのも興味深い。
裏ヒロインと言える(笑)、塔子さんの見事な一言で終わるこのお話の素敵な読後感、
それは読了した人のみ感じられるものなので、引用はしないでおこう。


タイトルで書いた通り、「夏目友人帳」は連載開始から10年を迎えたという。アニメも
現時点でシリーズ4期まで作られている人気作品であり、作品のクオリティ(若干のムラが
時々見受けられるのも事実なのだが)を高いレベルで保ちつつ、ここまで描き続けている
ことは賞賛に値するし、そんな堅苦しいことを言わずとも、この素敵な作品と出会えたこと
が、単純に私は嬉しく思う。私のようにアニメから知った人で未だに原作を読んでいない
方々がいるとしたら、悪いことは言わない、是非書店まで走って全巻を揃えて欲しい。

at 15:23, 某スタッフ, Book(Recommend/Free Talk)

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