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by Mizutamari (From Japan)
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Paul Draper 「Spooky Action」

 

 

2003年に自身のバンドを解散させたミュージシャンが、14年という歳月を経て、ようやく

その重い腰を上げて発表した初となるソロ・アルバム……美しい旋律と共に聴き手を絡めとる

のは、徹底的なまでのニヒリズムと英国的アイロニーである。

 

そう、PAUL DRAPER(EX:MANSUN)のソロ・デビュー作がようやく形となったのだ。

 

ポール並びにマンサンについては、拙ブログにて何度か取り上げて論じたことがあるので、

細かい説明は省くが、ともあれマンサン解散以降は表舞台から遠ざかり、主に裏方に徹して

いたポール氏であったが、去年2枚のEP作品をリリース、まさかとは思っていたが、こうして

手元に彼のソロ・アルバムがある以上、予感は現実へと変わったのだ。しかも国内盤が出た

というのが嬉しい。ソロ活動へと至る経緯などが、本人のインタビューと共に記載されている

国内ライナー、そして対訳(担当されているのは、今井スミ女史。これ以上は無い適役!!)が

付いているのだから、この作品に興味を持たれた方々は確実に国内盤を購入して頂きたい。

どうやら生産数自体があまり無いようなので、見つけたら即買い必至と断言しておこう。

 

本作に収められた楽曲は、上述したライナーを読む限り、以前から寝かせてあった楽曲と、

最近作られた楽曲とで構成されているそうだ。アルバム制作自体が一種のセラピーであり、

思いのたけをぶちまけた、自伝的な作品である、と。確かに、ポール氏にしては割合に

直接的な表現を駆使した歌詞も散見されるし、明確な怒りなどの感情も提示されているのだ。

SNSに没頭する浅はかな人間への嫌悪なんかも、昔ならもっと小難しいレトリックを駆使して

表現していたように思う。とはいえ、本作で過去と折り合いをつけ、幸福な場所へと到達した

……と、ポール氏は仰っているのだが、対訳を読む限り、「人間の本当のところなんて分からない」

などという歌詞を見つけたり(無論、一流の逆説を含んでいるのも承知の上ではあるが)すると、

かつて「死んだら忘れ去られるだけさ」と美しいメロディに乗せて歌い上げた、根底にある

彼の人間性は何ら変わってはいないのだな、と妙な安心感すら覚えてしまった(笑)。、

 

元々、プロデューサー気質のミュージシャンであるポール氏なので、裏方の仕事に従事するのは

ごく自然なプロセスであったのだろうが、同時に彼はやはり天性のフロントマン、ヴォーカリスト

なのだ。それは本作を聴けば明らかな事であって、ファンとしては喜ばしい限り。

 

2017年、もうどんなバンドが再結成しようとも、ニュー・アルバムをリリースしようとも

今更驚くことはないというほどに、様々な"伝説的バンド"が復活しているこの時代において、

ポール・ドレイパーという稀有なミュージシャンのソロ作品は、私にとっては00年代以降に

生まれた数多の英国ロックではどうしても埋めることの出来なかった空白、それを埋める

"不気味な作用"を持った音楽である。この感覚に比類する音楽あるとすれば、再始動後の

スウェード諸作品並びに、ブレット・アンダーソンのソロ作Black Rainbows以外は

有り得ないであろう。

 

あえて楽曲それぞれに触れることはしない。マンサン時代から変わらぬポール氏の妖艶な

歌声、メロディ、その独自性は、20年前と比べても益々妖しい光を放ち続けていることは、

一聴しただけでも理解できるであろう。ソロと言いつつ、かなりバンド・アンサンブルに

拘りを見せているところも嬉しいし、何より1曲だけではあるが、マンサン時代の盟友、

ドミニク・チャド氏が参加した楽曲が収録されていることは、まさに僥倖である。いや、

本当に嬉しい(笑)。チャドのギターが全編に渡り炸裂してくれたら……なんてのは私含む

マンサン狂の儚い望みであろうが、ともあれポール氏、本作を引っ提げてのツアーも敢行する

ようなので、やはり国内盤を皆さん買って頂いて、悲願の来日実現への望みを繋げたい。

 

 

 

相変わらず、本人は出演しないPV映像を作ってますね(笑)。

at 23:30, 某スタッフ, Music(Recommend)

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RAINER MARIA 「RAINER MARIA」

 

 

前回の記事を書いて以降、仕事以外の文章を書く気になれずに一か月が経ってしまったが、

これは書かねばなるまい。何たって、RAINER MARIAの11年振りとなる新譜がリリース

されてしまったのだから。しかも国内盤が。

 

レイナ―・マリアというバンドの事は、恐らくそれなりに90年代エモコアを、USインディに

精通している音楽好きでないと知る由も無い存在ではあるが、私個人的には以前にも言及した

ように、JEJUNEと同じくらい大好きな"エモコア"バンドであり、そんな括りを抜きにしても

とても大切なバンドなのである。

 

簡単に彼らの事を紹介すると、ニューヨークを拠点とする男女混声ヴォーカルの3ピースで、

95年に結成、96年にデビューEPRAINER MARIAをリリースしている。その後、名門

レーベルPOLYVINYLと契約し、ファースト・アルバムPast Worn Searching』(97年)を

発表。06年に解散するまでに5枚のアルバムと1枚のライブ・アルバム(傑作!!)を残している。

 

2014年に再始動したという話は聞いていたのだが、まさか純然たる新作をリリースするとは

夢にも思わなかった。しかも古巣のPOLYVINYLに戻って(最初の解散前は違うレーベルに移籍

していた)。詳しい経緯は分からないが、ともあれ私の大好きなバンドが、こうしてシーンに

帰還した。その事実をこそ、まずは喜びたいのだ。

 

 

上述したデビューEPと同じく、バンド名を冠した本作は、繰り返しになるが11年振りの新作

であり、通算6枚目のアルバムとなる。早速聴いてみて感じたのは、後々書いていくが、若干の

変化はあったものの、彼女達の鳴らす音楽、その本質にあるものは今も尚全く変わっていない

ということである。瀟洒な男女の会話のような、ラフでいて上品な3ピースの詩は決して枯れる

ことなく、舞っていたのである。

 

「私は強くなった」と嘯く1曲目"Broke Open Love"から、Kaia Fischerによる自由奔放なギターが

炸裂し、Caithlin De Marraisによる歌うようなベース・ラインが絡み合い、William Kuehnの

しなやかでいて激しさを内包したドラムスが支えるあのスタイル、あのレイナ―・マリア特有の

力学に則ったバンド・アンサンブルで彩られた楽曲で、長年のファンとしては思わずニッコリで

ある。ケイスリンの力強く上品な歌声も健在だ。ほんと、驚くほど変わっていない。

 

2曲目"Suicides And Lazy Eyes"ではシンプルなビートとコード進行から、少しずつ変則的に

発展していくポスト・ハードコア流儀のアレンジが最高。中盤以降の展開もクールである。

「モディリアーニの瞳」などという、インテリジェンスな歌詞がさらりと出てくるのもさすが。

そもそもライナー・マリア・リルケからバンド名を拝借しているような面子なのだ。NY出身

らしさというのが滲み出ているが、決して嫌味になっていないのも良い。あくまで自然体

なのが、このバンドの良い所なのだから。

 

3曲目"Lower Worlds"は歪んだギターと荒々しいベース、タイトなドラムスが結構ヘヴィ。

もっと言えば、本作は彼女達のアルバムの中でも一際ヘヴィなアルバムなのである。

4曲目"Forest Mattress"のグランジ的不協和音すれすれのギター・フレーズも何処か

不穏な雰囲気。サビで美しいファルセットで歌われるメロディを聴くことができるが、

対訳を読んでみると、様々なレトリックの中に感じ取れるのは、諦観や哀しみである。

 

6曲目"Blackbird"は、今までの彼女達にはあまり無かったタイプの楽曲かもしれない。

いや、彼女達のアルバムを全部聴き直したわけではないので断言はできないのだが、

一聴した限りではそのように感じた。勿論、レイナ―・マリア印の楽曲であることに

変わりはないのだが。7曲目"Possession"も、言いようの無い哀しみを感じさせる。

クリーンのギターに絡むヘヴィなベースとドラムスが、感情そのものを表している

かのようだ。ラストはギター・ノイズが30秒以上続き、アルバム中最も長尺の、

とはいえ5分20秒ほどだが、8曲目の"Ornaments Of Empty"へと繋がっていく。

シリアスに展開していく楽曲だが、途中から唸りを上げるフリーキーなギター・

フレーズが荒々しくカッコいい。悲痛な叫びを歌い紡ぐ9曲目"Communicator"も、

かなりヘヴィな仕上がりだ。

 

ラスト曲"Hellebore"では、花にその身を託し、届きようの無い想いを叙情的に

歌い上げている。やはり、伝わってくるのはポジティブな感情よりも、言い知れぬ

哀しみなのである。

 

 

通して聴いた感想はと言えば、全体的なトーンは若干暗く、非常に生々しく、混乱する

現代を反映しているかのような、シリアスな緊張感に満ちたサウンドである、ということ。

「美EMO」と称されることも多い彼女達ではあるが、それを期待したら若干の肩透かしを

食らうであろう。彼女達は初期の時点で自らの音楽を、その基本的スタイルを築き上げて

いたタイプのバンドであるからして、上述した通り、音楽性に大幅な変化は無い。但し、

過去作品で言えば名作EPAtlantic(99年)辺りから一気に開花した、独特の美しい

メロディの分量は、本作においては若干減退しているというのが正直なところだ。

 

それでも、本作はあまりにもRAINER MARIAとしか言いようの無い、実に美しいアルバム

である。2017年というこの時代に、彼女達の新しいアルバムに出会うことができたという

のは、やはり私個人からすれば、まさに僥倖。感謝しかないのである。

 

最後に、本作に興味を持たれた方々は、是非国内盤を購入して欲しいと思う。なればこそ、

再来日の芽も出てくるというものだからだ。2004年の奇跡の来日に足を運んだ1人として、

RAINER MARIAというバンドの素晴らしさが少しでも音楽人の中に広がっていくことを

祈って、拙稿の締めとしたい。

 

 

at 22:59, 某スタッフ, Music(Recommend)

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Chester Charles Bennington (March 20, 1976 – July 20, 2017)

 

「Now I see your testing me pushes me away」

 

 

スコット・ウェイランド、クリス・コーネル……自らの少年時代に憧れたであろう、

そして長じてからは友人としても交流のあった、音楽史にその名を残すヴォーカリスト達の

哀しい結末まで踏襲してしまったのか。強靭な咽喉とは裏腹な、否、盾の両面のように

常に彼らを支配していた心の弱さ、脆さは、それほどに深い闇であったのか。恐らくは

そうなのだろう。だとしたら、あまりにもやりきれない。

 

00年代以降のヘヴィ・ロック・シーンを牽引し、途方もない商業的成果を収めながらも、

常に向上心を忘れず、批判にさらされようとも前進し続けたLINKIN PARKのフロントマン、

最強のヴォーカリスト、チェスター・ベニントン氏が永眠されたという、痛恨やる方なき

ニュースを目にして、よく分からない気持ちのまま、こうして文章を書いている。意味が

無い作業なのだろうが、こうでもしないと仕事も何も手が付かない。

 

 

デビュー作Hybrid Theory(2000年)の輸入盤が店頭に並び始めた頃、試聴して度肝を

抜かれたのは17年経った今も――17年も経ってしまったか――よく覚えている。90年代男

の私としては、当時全盛だったラップ・メタル〜ラウド・ロックの新たな新人か、くらいの

気持ちで手に取ったのだと思う。リンプの"NOOKIE"くらいの楽曲があれば、超売れるかも

しれない、なんて夢想していたのも懐かしい思い出だ。実際、超売れるどころの騒ぎでは

なかったのは、今更言及するまでもないだろう。

 

そもそも、LINKIN PARKの音楽は明らかに他の同系統のバンドとは違っていた。ラップとヘヴィな

ロックの融合、クラブ・ミュージック的、エレクトロニカ的サウンドの導入、といった方法論の

話ではない。あくまで彼らの作り出す楽曲自体に、そういったものを感じ取ったのだ。

 

ファニーな要素は一切無し、それでいてFワードを使うこともなく、迫りくる哀切、激情、絶望を、

聴いているこちらが震えるほどの絶叫と、あまりにも素晴らしいメロディで歌い上げる、細身で

タトゥーだらけのルックス(この時点で、KORNやリンプとは全然違うタイプであった。むしろ、

コンヴァージのジェイクを想起させる)チェスター氏の存在は、スタジオ音源の時点で既に破格の

存在であったのだ。彼の歌唱法を聴いて、シャウトやスクリームの魅力を知った、という話を

昔知り合った熱心なエモ〜スクリーモ好きから聴いたことがあるが、実際、チェスターの歌唱は

00年代のスクリーモ世代にとっては大いなるインスピレーションの源泉であったに違いない。

同時に、誰も真似の出来ないオンリーワンな存在であった。数年後に実際ライヴで観て、ああ、

彼は10年に1人現れるか否か、くらいの特別な人なのだ、とんでもないヴォーカリストなのだと

確信に至ったことも、個人的な思い出として改めて書いておきたい。

 

デビュー時は、だぼっとしたファッションで身を包み、金髪(赤髪の時期もあった)にして、

いかにもラウド・ロックをやっている人です、といったような雰囲気を出していたが(デビュー作の

裏ジャケットを見るがいい)、それはきっと、彼の実像からはかけ離れていたのだろうなと思う。

 

晩年(こんな事を書く日が来るなんて)の彼は、大きく舵を切った音楽的方向性を示した新作が、

致し方無いことではあるが、ファンから非難を浴びたことに対して、大人げない反応を示し、

あのコリィ・テイラー(!!)に苦言を呈されたりもしていて、精神的に不安定ではあったのだろう。

デビュー作のスタイルに戻ってくれ、などと懇願するファンの気持ちは、勿論誰に否定できる

ものではないが、初期の彼らはあまりにも売れたせいか、かつ汚い言葉を歌詞に使わなかった

こともあって、00年代のボン・ジョビなどと揶揄されていたことも思い出す。そういう背景を

知らない若い衆も多いだろうが、何とも皮肉なものであろう。

 

私自身は、例の最新作One More Light(2017年)は、音楽的な変化なんぞとは全く関係なく、

特に良いアルバムだとは思わなかったが、何度も書いているように、LINKIN PARKは1つの

音楽性に留まることなく、常に新たな一歩を模索していたバンドである。あくまで可能性の

1つでしかなかったはずだ。やりたいようにやってくれれば良かったはずだ。それなのに……

 

 

野暮な事を書きすぎた。この記事を読んで、こうして文章を書いている自分の浅はかさを

痛感したが、それでも書かずにはいられない。書けば書くほど、失った存在の大きさが重く

圧し掛かってくる。かつてサマーソニックで体感した、"Pushing Me Away"を今聴いて、

涙が止まらない。文章にしたからといって昇華できるものではないが、自分にとっては

必要な作業であった。私自身も大好きなヴォーカリスト、ジェシー氏の痛烈な言葉を、

今後も忘れないようにしていこう。

 

 

原因なんぞは誰にも分からない。我々聴き手に残されたのは、冷徹な、残酷な現実である。

素晴らしい音楽に心を躍らせた、心を震わせた、あの日の思い出である。

 

ありがとう、さようなら。

at 14:35, 某スタッフ, Music(News)

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